愛犬の旅立ち【ペットのいない生活が始まりました】

どうも、shoです。

 

2週間前、愛犬が旅立ちました。

今回は愛犬を亡くしてからの、ぼくの気持ちや思い出の記事となってます。

自分のために書きます。

 

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愛犬との出会いは17年前

愛犬との出会いは17年前、トイプードル専門のペットショップでした。

当時、ぼくの母親が

 

sho母
トイプードルを飼いたい・・・!

 

とずっと言っていたので、ペットショップにちょこちょこ通っていたそうです。

そこで出会ったのが、愛犬です。

初めて会ったときは、まだ生まれて2ヶ月くらい。

コロコロしていて、黒くてふわふわした綿あめみたいな子犬でした。

母がその子犬を気に入って、お家に向かい入れようと決めたみたいです。

ぼくは自宅で待機していたので、お家に向かい入れる日はソワソワ(笑)

 

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愛犬とはじめて対面

愛犬が自宅に着いてケースから飛び出したとき、それはもう可愛くて可愛くて仕方ありませんでした。

 

sho
なんだ!?この黒くて小さいモコモコした物体は・・・!

 

愛犬は生まれてからまだ一度もケージの外の世界を見たことがなかったので、初めて見る環境にテンションが上っていました。

ちょこちょこと部屋のあちこちを嗅ぎ回りながら探索していた姿をいまでも覚えています。

 

トイレの場所はshoの部屋

犬を飼ったら、問題はトイレの場所ですよね。

ふつうトイレの場所はケージの中なのですが、愛犬はなぜかぼくの部屋のすみっこに決めました。

その場所が一番落ち着いたのでしょうか。

おかげでぼくの部屋の一部は愛犬に占領されてました。

 

sho
かわいいから、良いんだ・・・

 

かわいいから許してあげました。

かわいい = ジャスティス

 

学校を休んで愛犬と遊ぶ

我が家に犬が来ると、できるだけたくさん遊びたいですよね。

次の日学校があったのですが、ぼくは学校を休んで愛犬と遊びました。

まぁ、学校を休んだのには理由がありまして…

その日、寝坊をしてしまい猛ダッシュで通学準備をしていたんです。

朝ごはんを抜いて学校に行こうとしたら、母が

 

sho母

ご飯だけは食べて行きッ!

 

と言って、ロールケーキを目の前にドンッ!

うぉ、朝から重すぎやろ…

と思って、ロールケーキをバクッと口に入れ最寄り駅まで猛ダッシュ!

全力疾走してからの満員電車!だったので、重たいロールケーキと息切れで胃の気分が悪くなり、途中下車してトイレでキラキラ〜💫

さすがにゼーハーゼーハーしながら学校に行くのは苦行だったので、自宅に戻り事情を話して休みました(笑)

愛犬も遊び相手が戻ってきたと思い、はしゃいでおりました。

ぼくもそれに癒やされ、体調は元通り。

かわいい = 癒やし

 

不登校のときも一緒

ぼくが学校にいけなくなったとき、一緒に居てくれたのは愛犬でした。

不登校時代のほとんどは、愛犬と過ごしていたと思います。

当時、ぼくの中で愛犬の存在はとても大きかったです。

というのも不登校ってある種、孤独との戦いで一人になってしまうと押しつぶされるんですよね。

その予防策として、家族、親戚、友達、ペットなど、様々なつながりがあるのですが、ぼくは愛犬とのつながりに助けられました。

愛犬がぼくになにか具体的なサポートをしたのかといえば、それはあまりないですけど、「ただそばに居てくれた」それだけで孤独を防ぐことが出来たのだと思います。

あとは家に引きこもりがちになるので、愛犬との散歩は運動の機会を与えてくれました。

また、散歩道ですれ違う他のわんちゃん&飼い主さんと関わる機会も与えてくれるので、愛犬の存在は偉大でした。

 

控えめで大人しく、優しい子。

実はうちには愛犬が別にもう1匹いました。

その子は6年前に旅立っていったのですが、まぁとてもやんちゃで…(笑)

別名をジャイアンにしておきます。

ジャイアンは主張の強い子で、ご飯やオヤツを前にすると「オレだ!オレだ!オレだ!」と前に出てくるタイプでした。

そんなジャイアンを1歩後ろから俯瞰して大人しく待っている愛犬。

「ぼくはジャイアンよりお行儀よく待てますよ。」

というような気持ちでジッとぼくを見つめる愛犬。

でもよだれがダラダラ。

そんな愛犬の姿がとても大好きでした。

 

公園の広場でも好きに走らせてあげたら、ジャイアンは走り回るのですが愛犬はクンクンと色んな所を嗅ぎ回り現地調査。

犬にもいろいろなタイプがいるんだなぁ〜と感心してたら、誰かが食べかけてたコンビニのおにぎりを草むらから見つけ出し、くわえて走ってくる愛犬。

 

sho

汚いから捨てなさい!どこで見つけてきたんや(笑)

 

おにぎりを頬張り、うれしそうに走る愛犬。

オレにもくれ〜!と続くジャイアン。

口の中にあるおにぎりを吐かせようと追いかける飼い主sho。

 

1匹目を亡くしてからもそばにいてくれた愛犬

ジャイアンはとてもはしゃぎ回る子でしたが、ストレスに弱く病気になりやすいタイプでした。

ある日、家に帰ると横たわってピクリとも動かないジャイアン。

家にいた母に聞くと、「気づいたらケージの中で横たわっていて息をしていなかった」と話し、それを聞いたぼくは突然のことで状況を把握しきれませんでした。

え、どういうこと?

昨日まではふつうに元気にいたのに。

なんで・・・?

ジャイアンが亡くなった原因は今でも分かりませんが、前日に動物病院で診てもらったとき、ストレスをかけてしまったのが原因だったのかな、と思います。

やんちゃではしゃぎ回るジャイアンだったのですが、本当に繊細というかストレスに弱いタイプでした。

ぼくは大切な家族を突然失ったことで大きなショックを受け、重いペットロスに陥ってしまいました。

3日3晩、涙を枯らすまでずっと泣き続けていました。

悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない。

なにかしてあげられることはなかったのか?

ぼくがこの子を殺してしまったのか?とさえ自分を疑うようになり、ひどい状態まで落ちていました。

しかし、そんなときも愛犬がずっとそばに居てくれました。

こんなとき絵本みたいにぼくの涙をペロっと舐めたり、元気だしなよと体に寄りかかることを愛犬に期待してましたが、そんなことは全くなく(笑)

ジャイアンは旅立ってしまったけど、まだこの子がいる。

亡くなったジャイアンの分まで、この子をたくさん可愛がって、最後まで世話をしていこうと思いました。

愛犬の存在のおかげで、1匹目のペットロスからなんとか立ち直ることが出来ました。

 

愛犬の老いが始まる

去年ぐらいからでしょうか。

愛犬の様子が少しおかしいなと感じ始めました。

たとえば、大好きだった散歩を途中で引き返そうとしたり。

いつも形の良かったウンチが下痢状になり始めたり。

ご飯もあまり食べなくなり、残すようになりました。

そして起きている時間より、寝ている時間のほうが長くなりました。

あぁ、もうずいぶんと歳をとったんだな。

そりゃそうよな。もう17歳だもん。

人間の年齢に変えれば、84歳。

ハイシニアです。

毛に覆われているから見た目は変わらないけど、背中をなでたら背骨がゴツゴツしてきた。

シャキシャキと歩いていたのに、歩き方もヨボヨボした足取りになって。

ちょっとの坂でもつまづいて転んでしまったり。

元気なころの記憶が濃いから、愛犬の老いのイメージが湧きませんでした。

見た目もさほど変わっていませんが、でも確実に愛犬は老いに向かっている。

ぼくはそこから覚悟を決めていました。

 

旅立つ前日

愛犬が旅立つ前日、ぼくは仕事へ。

出勤前、クッションの上でぐっすりと寝ている愛犬を見て「今日もよく寝ているな〜」と思い、会社に行きました。

そして帰宅後、愛犬の様子を見てみたら体の位置が変わっていない。

ずっとクッションの上で寝ていたみたいです。

いつもは水を飲みに起き上がったり、トイレに行くときに起き上がったりして用が済んだら違う場所に寝ているのですが、今回はずっと定位置にいる。

母に様子を聞くと、「ずっと寝ていて動かなかった」と話しました。

ぼくは心配になり、明日は仕事を休んで愛犬のそばから離れないようにしようと決めました。

 

愛犬の旅立ちの日

朝起きてから、ぼくは愛犬のそばを離れませんでした。

残されたこの時間、自分にできる限りのことはしよう。

6年前に亡くしたジャイアンのようにはさせない。

そう思い、色々介護をしてあげました。

水は自力で飲めないから、シリンダーに水を入れて直接口に運んだり。

床ずれが心配だったので、数時間おきに体の位置をずらしたり。

ここ最近はずっと家の中にいたので、優しく抱っこをして温かい日の当たる場所まで連れてみたり。

寂しがらないよう、一緒に横になったり。

膝の上で寝させてみたり。

おむつも数時間ごとに新しいものに交換をしました。

食べてほしかったけど、食べ物は受け付けなかったのでムリに食べさせたりはしませんでした。

そうこうしているうちに、日は暮れて夜の21時。

すこし横になって休憩していたら、愛犬の容態が急変しました。

呼吸が荒くなり、体の硬直が始まっていたのです。

首は徐々に上を向きつつ、鳴き声を上げていました。

大丈夫やで、そばにいるから。ちゃんと見ているから、安心してゆっくり眠りや。

そう声をかけながら、愛犬を優しく抱きかかえ頭をなでていました。

ふつうなら慌てる場面なのでしょうが、その時はなんだか不思議と冷静にいられました。

覚悟していたからでしょうか。

しばらくして、愛犬の口がパクパクと反射で動き、息を引き取りました。

愛犬のお腹に耳を当て、死んだのを確認しました。

あぁ、もう心臓が動いてない。鼓動していない。

呼吸も止まった。

足も曲がらず、硬いまま。

目は開いているけど、瞳孔が動いていない。

ぼくの腕の中で愛犬は安らかに眠りました。

自分の腕の中で命が旅立っていった。

不思議な気持ちでした。

この気持をなんと言えば良いのか分かりません。

悲しい気持ちと、ペットの長かった世話が終わったという気持ちと。

いろんな感情が混ざり合い、涙で視界がぼやけました。

最後に「ありがとう」と「ずっと愛しているよ」を愛犬に伝えました。

 

旅立ちの翌日

朝を迎え、窓のカーテンを開けたらとても澄み渡った青空が見えました。

冷たい風がベランダの草木をゆらして、鳥が鳴きながら飛んでいました。

目をつぶっていたら、太陽のあたたかい光が自分の体を包んでくれたような感じでした。

自分の鼓動が鳴り、脈を打ち、冷たい空気を吸っている。

生きてる。

そう実感しました。

生きていることは、命は、美しく尊い。

ほかの人から見れば何気ない日常。

だけど、ぼくにとってこの日は何にも代えがたい1日でした。

すべて目に見えるものが美しくて、尊いものだと感じました。

生きていることは素晴らしく、素敵なこと。

生きていることは当たり前でなく、奇跡なんだということ。

旅立った愛犬がそう教えてくれました。

 

愛犬が生きたかった一日をどう生きるか

6年前に1匹目を亡くしたとき、大きなショックを受け長い間ずっと悲しみに暮れていました。

この子がいない世界でぼくはどう生きていけばいいのか、と絶望。

ぼくは長く引きずるタイプだったので、元気を取り戻すまでに相当な時間がかかりました。

それから月日が経ち、以前のぼくと同じようにペットロスで悩んでいる人がいたんです。

その人は「先日、愛犬が亡くなりました。寂しくてどうすればいいか分かりません。」と、とある方に質問していたんです。

すると返ってきた答えがこういうものでした。

 

すごく寂しいですよね。

まずは悲しんでいればいいと思います。

亡くした最初のころはとても辛いですが、時間が解決してくれます。時間薬ですね。

あと死んでしまったワンちゃんは、おそらく今日も生きたかったと思う。

そんな1日を飼い主さんは、悲しく過ごすのか、それとも楽しく過ごすのか、それは自由です。

ぼくだったら悲しんで過ごすよりも、できるだけ楽しく過ごしたいと思います。

ぼくが死んであの世に行ったとき、「楽しく生きてきたで!」と愛犬に報告できるように。

 

この方の考えを聞いたとき、自分のペットの死について考え方と捉え方が変わったような気がして、だいぶ楽になれました。

 

きっと楽しく生きてほしいと願っている

これはぼくの「死」についての一つの考えです。

自分の大切な人やペットが亡くなってしまうのは、とても辛く悲しいことですよね。

ほんとうにこの世の終わりだとさえ感じます。

しかし、旅立っていった人や動物たちからすると、いまを生きているぼくたちには、楽しく幸せに生きてほしいと願っているのではないかと思います。

たとえば、もしぼくが仮に死んでしまったら、ぼくを大切に思ってくれる人には楽しく幸せに生きてほしいと心から願います。

自分の大切な人が悲しんで生きるよりも、笑って楽しく過ごしてほしい。

前を向いて生きてほしい。

そう願います。

だからぼくはこの命をできる限り、悲しいことよりも楽しいことに使いたい。

ずっと悲しみながら生きていてあの世に旅立つとき、先人から「なにしとんねん!」と怒られそうですからね(笑)

せめて、「この命、楽しく生きたよ!」と、あの世でたくさんの楽しい思い出を報告できるように生きようと思います。

 

Catch you later!

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