どうも、shoです。
先日、下記のようなツイートをしました。
個性を伸ばす教育が流行っているけど、個性は伸ばしすぎると厄介な人間になる。
例えば「グロいアートが美しい」と言っている人間は僕には理解できないし厄介。
個性は周りの人達と違う一面ですが、それがぶっ飛んでいると理解も応援もされない。
個性はみんなが理解できてみんなが喜ぶものがいい。— sho@豊かになる考え方を発信 (@ninjatuna7) February 7, 2021
巷の教育では、


と個性神話が支持を集めていますが、本当にそうだろうか?と疑問に思いました。
本記事では「個性」について書いてみようと思います。
よければご覧ください。
ほとんどの人は個性が飛び抜けている人と距離を置いている
ほとんどの人は、個性が飛び抜けている人とは距離を置いています。
なぜなら、個性が飛び抜けている人と距離を置いているのは、
その人の個性を理解できないから。
自分とは価値観が合わないから。
です。
実際、自分の周りの人たちに個性が飛び抜けている人は1人もいません。
例えば、奇抜なファッションセンスをしている人や、自分には理解できない思考の持ち主の人など。
自分はそういう人たちと話すことはあまりないし、関わることもないです。
みなさんはそういった個性の強い人たちが身近にいますか?(中にはいると思いますが・・・)
個性が飛び抜けている人を理解することは難しい
人間関係の中で個性が飛び抜けている人が身近にいないのはおそらく、自分が理解できないからでしょう。
理解できない人といつも側にいることはできますか?
できませんよね。
理解できない人といるとストレスが溜まるので、どうしても距離を空けます。
例えば、戦争のアートを描く芸術家がいたとします。
その芸術家の個性が飛び抜けていたとして、より鮮明に人の死体や、人が人を攻撃しているものを描いていたとしたらどうでしょうか?
ほとんどの人はそのアートに美しさを感じたり、理解することは難しいはずです。
なぜなら、戦争のアートが美しいと思う人はほとんどいないし、自分の価値観とは合わないからです。
結果、その芸術家から距離を空けてしまいます。
自分の価値観と全く違う人と一緒にいると、どうしても疲れますよね。
個性の強い人を理解しようとしても、その人にエネルギーをたくさん注いでいかなければいけません。
その人を理解しようとしても、労力がかかるので疲れます。
個性を伸ばしすぎる教育は子供を独りの状態にしてしまう
個性を伸ばしすぎる教育は子供を独りの状態にしてしまいます。
なぜなら、子供が過ごしている時間はほとんどが学校という狭い世界であり、その中で個性を伸ばしすぎてしまうと簡単に仲間外れになってしまうからです。
例えば、1クラス30人ぐらいの教室の中で、個性が飛び抜けている子供が1人いる状況を想像してみてください。
おそらくその子供は同じクラスメイトから理解されずに独りぼっちになってしまうでしょう。
教師もその個性が飛び抜けている子供を理解することは難しいはずです。


教師はこんなことを思うはずです。
相手の個性が強い、個性が伸びすぎているあまりに自分の見ている景色とは違うため、何を考えているのか分からず理解に苦しみます。
出る杭は打たれる文化の中で個性の強い子供は苦しい
日本の文化に根強くある、「出る杭は打たれる」という言葉があります。
個性が強い子供は学校や家庭で、その個性を周りのクラスメイトと同じレベルにしようとあれこれ手を出します。
なぜなら、学校側は個性の強い子供を標的にされていじめ問題を起こしたくないし、教師の言うことを聞かせてその通りに行動してもらいたいからです。
家庭側は個性が強すぎて自分の子供が独りぼっちになってしまうのではないかと心配し、世間体を気にしてみんなと同じように育ってほしいと願います。
例えば、授業中に席を立って教室内をウロウロ歩く子供がいたとします。
子供が教室内をウロウロ歩く行動も言い換えれば、「個性」と言えるでしょう。
その子供の行動を見た教師は問題行動とみなして、自分の席に座るように注意します。
家庭側は自分の子供が授業中に席を立ち、ウロウロすることに周りからなんて言われるか気にして子供にしっかりするように言います。
つまり、子供の個性を伸ばしたところでほとんどの所では、出る杭(個性)は打たれてしまうのです。
大人は誰でも子供に「良い子でいなさい」という姿勢を望んでいるのです。
なので個性の強い子供というのは、非常に生き辛く苦しい思いをしています。
みんなに理解される個性を持つ方が大切
個性を伸ばしすぎることはあまり良いことではないと書いてきました。
なぜなら、「出る杭が打たれる文化」では、個性の強い持ち主、個性が伸びすぎている人というのは生き辛い世界となっているからです。
しかし、みんなに理解される個性を持つことは大切です。
みんなに理解される個性というのは、相手のことを想う気持ちです。
例えば、前章でも書いた「戦争のアート」を例に書いてみます。
個性の強い、伸びすぎた芸術家が人の死体や人を攻撃するアートを書いたとしても、その作品はほとんどの人に理解されません。
なぜなら、誰も戦争で人が死ぬことは望んでもいないし、誰にも攻撃をされたくない平和を望んでいるからです。
ではその戦争アートを描く芸術家が、相手のことを想う個性を持っていたらどうでしょうか?

相手を想う作品が完成したならばその作品は、人の死体や人を攻撃するアートよりかは少なからず応援や理解はされるでしょう。
つまり大切なことは、「相手を想う個性を持つ」ことが大切だと考えます。
まとめると、個性で大切なことは以下の通りです。
相手が理解できる個性であること
相手を想う個性であること
個性が強すぎると周りの理解は得られないこと
です。
Catch you later!