どうも、shoです。
今回、ぼくが一番好きな戦国武将「黒田官兵衛」について好き勝手に語っていきます。
そして、
- ぼくの好きな黒田官兵衛のエピソード
- 黒田官兵衛が残した名言
こちらを紹介していきます。
黒田官兵衛が好きな人は一緒に盛り上がりましょう(笑)
よければご覧ください。
黒田官兵衛はどんな戦国武将?
黒田官兵衛は豊臣秀吉の天下統一に深く関わった戦国武将です。
そしてあの織田信長、徳川家康にも一目置かれた「稀代の天才軍師」とされています。
組織の中でNo.2
現代社会で例えると、豊臣秀吉が社長であれば、黒田官兵衛は専務といったところでしょうか。
会社組織の中ではナンバー2というポジションの人物です。
豊臣秀吉を陰でずっと支えてきた軍師です。
頭がいい
黒田官兵衛のすごさはなんと言っても「頭の良さ」にあります。
戦をしないで敵の領地へ赴き、敵武将を説き伏せて勝利を得ることを得意とします。
兵を使わず、自分の頭を使って戦をしていた武将でもあります。
そして豊臣秀吉を天下人に仕立て上げ、己自身も天下人になろうと目論んだ軍師です。
まぁ要するに、「めっちゃ天才!」だということを伝えておきます
天才だけどツイていない
ただこの黒田官兵衛、頭は誰よりもよく天才なのですが、戦国武将一「運がツイていない」んです(笑)
たとえば、
- 敵に捕まり地下牢に1年間も幽閉
- 秀吉から疑いの目をかけられ九州に飛ばされる
- 自分が天下人になろうとした直前で息子に計画を覆される
そんな哀愁さを持つ戦国武将です。
黒田官兵衛の個人的に好きなシーン1(中国大返し編)
黒田官兵衛のファンなら誰もが知っている「中国大返し」
ぼくはこのシーンがとても好きです。
このシーンの背景は以下になります。
秀吉が最も慕っていた織田信長。
その信長が本能寺の変で自害する。
その知らせを聞いた秀吉は泣き崩れる。
秀吉はその時、中国地方で黒田官兵衛と毛利攻めを行っていた。

信長様ああああああああああ!!!!!
信長様が討たれたあああああああああ!!!!!!
うわあああああああああああああああ!!!!


これが落ち着いてなどいられるかッ!!!
うわああああああああぁぁぁ!!!




この好機というのは、本能寺の変を起こした明智光秀を今討てば、秀吉は天下を取ったようなものということ。
だから今の毛利攻めを一旦止めて、京へ登り明智光秀を打ちにいくという作戦です。


そうして黒田官兵衛は毛利の領地へ行き、言葉巧みに説明して毛利軍との講話に成功しました。
毛利と平和条約を結び、なおかつ総大将信長の死を毛利軍に悟られないように講和しました。
このシーンは本当にしびれます。
そこから黒田官兵衛は早急に秀吉の軍を京へと登らせます。
これが俗にいう「中国大返し」です。
明智光秀が三日天下と言われる所以はここにあります。
それは黒田官兵衛が中国地方にいる味方全軍をわずか10日間で京へ登らせたからです。
当時は車もない時代なので、馬と自分の足だけで京にまで登り詰めました。
まさにB’zの「兵、走る」
できる部下、黒田官兵衛
黒田官兵衛は毛利軍を説き伏せただけでは終わりません。
官兵衛は京までの道のりを先に確保して、夜でも軍が走れるように先回りして松明を焚いたり、水や兵糧、馬を各拠点に置いておくなど、先のことを考えながら行動していました。
できる部下とはまさにこのことです。
そして全軍が京に到着し、明智光秀と「山崎の戦い」にて見事勝利を収めます。
黒田官兵衛の個人的に好きなシーン2(秀吉天下統一後)
このシーンの背景は以下になります。

なんか官兵衛の言うこと聞いてたら、ほんまに思うようになるなぁ。
ワシそのうち官兵衛に寝首かかれるんちゃうかなぁ。
なんか恐いわ!
あいつ頭もめっちゃいいし、何考えてるかわからん!
キショい!
ワシの近くに置いとくの恐いし、遠くの九州に飛ばしたろッ!
秀吉をものすごく慕っていた官兵衛は、これを聞いてかなりショックを受けたそうです。

そんなめっそうもございません!
私は殿下の上に立つことなど、考えもしません!( ;∀;)


めっちゃ理不尽(笑)
今まで秀吉を慕っていたのに、遠ざけられるというなんとも悲しい出来事です。
そうして官兵衛は九州へ行き、九州一帯を任されることになりました。
いつの時代も理不尽なことはあるんだなぁと官兵衛にものすごく共感しました。
秀吉は官兵衛の頭の良さに恐ろしさを感じ始め、近くに置いておくのは落ち着かないということで遠くに配置しました。
黒田官兵衛の個人的に好きなシーン3(関ヶ原の合戦)
そこからなんやかんやあって、秀吉も亡くなり官兵衛も息子に家督を譲り、官兵衛は隠居生活を送っていました。
このシーンの背景は以下になります。
官兵衛は九州で隠居生活をしていたため、この争いには関係がありませんでした。
しかし、官兵衛はここで目論みます。

太閤殿下(秀吉)が天下を取られてから、ワシはひどい扱いをずっと受けてきた・・・。
もう殿下も居られない・・・。
このワシの残りの命、人の道ではなく自分の道を進む!
この隠居生活も飽きた!
ワシが天下をとったる!!!
こうして長い隠居生活を送っていた官兵衛は痺れを切らし、天下統一に向け動きます。
官兵衛は兵力がない
しかし官兵衛は隠居の身で、兵力はありませんでした。
そこで官兵衛は今まで蓄えていた金銭をここぞという時に使い、兵を募っていきます。
お金の使い方がかなりイケてます。
そして集めた兵を進軍させ九州地方の敵を殺さず、仲間に加えていき次々と九州地方を平らげていきます。
このときはまさに破竹の勢いで、兵力のなかった官兵衛は九州の戦に勝ち続け、雪だるま式に兵力を増やしていきました。
兵を増やしてどう戦う?
官兵衛の策は実に見事な策でした。

天下分け目の戦いだから、関ヶ原の合戦は史上最大規模の戦いになる。
つまり、この戦の期間は長引く。
西軍(石田三成)vs 東軍(徳川家康)
どちらが勝利しても、軍は必ず長期戦の戦で疲弊する。
その軍が疲弊しているスキをついて、ワシが九州で集めた兵力で叩くッ!
官兵衛は漁夫の利を狙っていました。
この官兵衛の策は実に見事で、抜かりがありませんでした。
しかしこの策、官兵衛の息子「黒田長政」のせいで上手くいきませんでした。
なぜ官兵衛の策は上手くいかなかったのか?
官兵衛の息子、黒田長政は東軍の徳川家康方に味方していました。
長政は家督を継いでいるため黒田家が生き残るには、「徳川の味方でなければならない」と考えていたそうです。
ちなみに官兵衛は隠居していたため、西軍東軍どちらの味方でもありません。
長政はどうにかして徳川が勝てないか、策を練りました。
策を練った結果、西軍の小早川秀秋を調略して東軍に取り入れることとなりました。
この長政の策が見事成功し、父官兵衛の策が覆されることとなります(笑)
関ヶ原の合戦は半日で終わる
長期戦になると考えていた関ヶ原の合戦。
なんと官兵衛の息子、黒田長政の策のせいで半日で終わってしまったのです(笑)
つまり勝利した東軍は疲弊もなく勝利を収めたということになります。
なので官兵衛は九州で増やしていった兵力で関ヶ原の戦いに勝利した東軍に挑んでも、勝てる見込みはなかったということになりました。
九州で戦をしていた官兵衛は関ヶ原の様子を伝令から逐一聞いていたのでその知らせを聞きます。
官兵衛もこれにはビックリビックリ。(゚ω゚)
そして、とりあえず息子の長政を九州へ呼び、官兵衛は長政に関ヶ原で何があったのか詳しい事情を聞きます。
九州の黒田屋敷にて





天下を取れるチャンスを息子長政に台無しにされたというオチ。
これがたまらなく好きです。
頭はいいんだけど、ほんとうにツイていない武将。
それが黒田官兵衛です。
このエピソードにはまだ続きがある





官兵衛はよっぽど天下を手に入れたかったのだと思います。
もし黒田が天下をとっていれば日本の歴史はまた違うものになっていたかもしれません。
頭のいい天才軍師が日本をどのようにつくっていくのかも見てみたかったです。
黒田官兵衛の名言
次は官兵衛が残した名言、特に個人的に好きな名言を紹介します。
現代にも通ずる名言だと個人的には思います。
名言その1
この言葉は関ヶ原の合戦の時に、九州で浪人や兵を募ったときの場面で使われた言葉です。
官兵衛は倹約家で無駄なものにはお金を使わず蓄えていました。
しかし、官兵衛は「ここぞ!」というときに、金銀を惜しみなく使います。
官兵衛は一世一代、天下統一のチャンスに出会したときや、戦でどうしても勝ちたいときに金銀を使います。
そして、集まってきてくれた浪人や兵に金銀をたくさん渡し、士気をあげさせました。
それが部下の原動力になりものものすごい力を発揮させ、九州を平らげたとされています。
例えるなら、会社の経営が傾き始めてきたときに、経営者は部下にたくさん給料を払って部下の原動力を底上げし、自分の会社を成長させればよいのではないでしょうか。
金銭の横領をするより、人に金を払って人に動いてもらう方がよっぽど価値があるとぼく思います。
ぼくが経営者の立場なら、部下にはたくさんお給料を払って会社を成長させるように考えていきたいですね。
名言その2
この言葉は、人に気に入られようとしてご機嫌をとり、自分本来の姿をごまかして相手に合わせるということです。
現代でもこれはよくあることではないでしょうか。
上司の顔色をうかがったり、周囲に合わせたりすることです。
気に入られるのに越したことはありませんが、じゃあ「本当の自分って何?」となるわけです。
上司の機嫌をとることが本来の自分でしょうか。
自分の人生、自分が主人公です。
相手に合わせているだけの人生じゃ虚しいですからね。
そんなことを思い出させてくれる言葉です。
官兵衛は秀吉を慕っていましたが、媚を売るような武将ではなかったようです。
官兵衛は秀吉に気に入られようとして、天下人に仕立て上げたわけではありません。
自分の考えや策を持ちつつ、自分の思い通りになるよう事を運ばせてきました。
秀吉を天下人にさせる、ここに焦点を当てながら秀吉を動かして自分は楽しんでいたのかもしれません。
憧れの武将、黒田官兵衛
黒田官兵衛はぼくの人生にとって、「教科書」であり「スパイス」になってます。
なにか人生で悩んだりしたときは、官兵衛の言葉を思い返しています。
大切なことは、「頭を使って生きていくこと」と教えてくれます。
生き抜くためには力だけではなく、知恵も必要です。
現代でも生き抜くためには知恵は大切です。
要するに勉強しろということです(笑)
そんなことを官兵衛は教えてくれます。
Catch you later!