どうも、shoです。
先日、お昼のワイドショーを見ていたら、「学校のイジメ特集」みたいなテーマが放送されていました。
そこでこんなことをコメンテーターが言っていました。

ごもっともな意見でテレビの前で「うんうん」と頷いていました。
テレビを消してぼくはもう少しこのテーマを深掘りしてみて、いろいろと考えてみたんです。
するとその考えが行き着いた先は「実はみんなイジメを受けている」ということです。
なぜなら、今の学校教育がイジメみたいなものだからです。
この記事では、僕の考える「みんなイジメを受けている」についてお伝えします。
この記事を読むと、なぜみんながイジメを受けているのかその理由がわかります。
ぼくの結論は「学校の原点を見つめ直すこと」です。
よろしければご覧ください。
みんなイジメを受けている
実はみんなイジメを受けています。
今の子ども、そして大人になったぼくたちもイジメを受けてきました。
なぜ、みんなイジメを受けているのか?
それは、今の学校教育そのものがイジメみたいなものだからです。
これだけではまだ分かりづらいと思うので、もう少し深掘りしてお伝えしていきたいと思います。
今の学校教育はイジメみたいなもの
語弊を恐れずにいうと、みんな学校からイジメを受けていると言えます。
たとえば、子どもの頃を振り返ってみて欲しいのですが、学校は辛くなかったですか?
ぼくは辛かったです。
学校が辛いと思うのも、下記の理由があったからです。
- 受験のために夜遅くまで勉強
- 嫌いな給食でも残してはいけない
- 狭い教室に閉じ込められる
- 興味、関心のない授業を長時間させられる
- 成績で順位をつけられる
- 偏差値で自分を測られる
挙げ出すとキリがないですが、これらは全て学校で行っていることです。
どう考えてみても、みんなイジメられているとしか思えません。
このような環境に身を置きたいと思いますか?
ぼくは反対ですが、今の子ども達はこのような環境に身を置いています。
そうであれば、子どもが突然グレ出したり、キレ出したりするのも無理ありません。
また心の優しい子どもであれば、人に傷をつけたりはしませんが、学校から距離を置く子どもだっています。
まぁ昔のぼくのことなんですが←
自由が足りない
要は、教育に自由が足りないんだとぼくは考えます。
今の学校教育のシステム上、子どもたちはその教育システムの中に組み込まれて、それに沿って動かなければいけないということです。
例えば、自分と性格の合わない先生が1年間も担任だなんて、はっきり言って嫌でしょう。
大人になれば、性格が合わない人とは距離を置いたり縁を切ったりできますが、子どもにはそれができないです。
子どもは好きな先生も選べないし、好きな勉強も学校ですることができない。
子どもが学校を好きになるのも先生次第というところががあり、運の要素がぶっちゃけ強いと感じます。
昔は自由に学べた
すごく昔の話になりますが、日本は学校制度ができるまでの間「寺子屋」というものがありました。
その寺子屋は村の中にあるのですが、村に住んでいる大人たちが子どもたちに読み書きを教えていたんです。
子どもは寺子屋に行って勉強していたんですが、現代の学校のようにきっちりとしたシステムはなく、自分が勉強したいタイミングで勉強したり、先生も選んで勉強できるというものでした。
現代の学校で学ぶことに比べて、「寺子屋」はかなり自由なスタイルです。
ぼくはこの寺子屋の自由なスタイルをもう一度、現代の学校に取り入れた方がいいのではないか?と考えています。
というのも、現代の学校はなんでもシステム化にされており、その通りに子どもは動かなければいけません。
子どもがシステム通りに動かなければ、異常児扱いにされたり、終いには不登校なんて呼ばれる始末です。
現代の教育システムで子どもたちをイジメておきながら、教育関係者は「イジメは悪い!」とよく言えたものだと思います。
もう一度、今の学校は日本の教育の原点を見直した方がいいのではないかと考えます。
まとめ:みんなイジメを受けている
みんなイジメを受けています。
それは今の学校教育がイジメみたいなものだからです。
狭い教室で毎日机にかじりながら、夜遅くまで興味、関心のない勉強をさせられて、その中で成績の順位をつけられ競争を強いられて。
はっきりいってイジメみたいなものです。
そのような環境で毎日過ごしていたら、当然子どもはなんらかの問題を起こします。
現代の学校は何もかもシステム化になっているので、そのシステムに沿わない子どもたちは異常扱いされたり、終いには不登校と呼ばれる始末です。
日本の学校ができる前までは、それこそ不登校なんてものはありませんでした。
もう一度、日本の学校は日本の教育の原点を見つめ直した方がいいのではないかと考えます。
Catch you later!